元プロ野球選手(筆者)の「中学の軟式野球部に入部して洗礼を受ける」について 第③話

筆者について
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こんにちは。

今日のテーマは

中学の軟式野球部に入部して洗礼を受ける

前回の第②話では、中学時代の学校生活や私生活についてのお話でした。

第③話ではそんな中学生時代の野球の始まりについてお話ししようと思います。。

ヤンチャな事をしながらでも「野球」はしていました

親に迷惑を掛けっぱなしの中学生時代でしたが、そんな中でも一応、野球はやっておりました。

 

と言っても、中学の学校内にある軟式の野球部に入部した程度でした。

 

今の時代では硬式球を使ったクラブチーム(シニアリーグやボーイズリーグなど)に入団する子たちが増えてきていますが、当時はまだそこまでチーム数も多くなく、特に田舎になればなるほど中学の野球部で軟式球で野球をやっている子の方が多かったんじゃないかと思います。

 

実際その当時、同じ中学の同じ学年の中で、学校の野球部ではなくてクラブチームに入団して野球をやっていた同級生は、覚えてる限り1人か2人だったと思います。

 

それと対照的に、中学の軟式の野球部には同級生が15人くらいいた記憶です。

 

第②話でもお伝えしましたが、中学校に入学する直前に関東から引っ越しをしてきたので、周りに友達はいませんでした。もちろん野球部にも知ってる人はいません。

 

なので少し遅れて野球部に入部した事は覚えています。

少年野球と中学野球の大きな違いは「先輩後輩の上下関係」

軟式の野球部に入部すると待ち受けていたのが、小学生の時の少年野球とは全然違って、厳しい厳しい環境でした。

 

授業が終わって放課後になると、最初はユニフォームもありませんので体操服で部活に出るんです。強面の先輩たちもたくさんいたので練習場所もありません

 

そこで新入生がやる事と言えば体力トレーニングです。

 

グラウンドの外周をグルグルグルグルず~っと走ります。

 

それが終わると、3年生の新入生指導係がつきっきりになって、腹筋、背筋、腕立て伏せなどトレーニングの繰り返しです。

 

しかも、今の時代では笑っちゃうくらい非常識なのですが、当時はまだ「水なんか飲むな!」の時代でした。

 

なので、トレーニングの合間とかで休憩を挟んでもらう時に、水道で顔を洗うフリをして隠れて水道水を飲む事が唯一の救いでした。

 

他にも、当時はまだ「ケツバット」と言うものが存在している時代で、入部して間もないうちに、おそらく新入生への洗礼なんでしょうね。1年生が全員はじめての「ケツバット」を喰らう事になりました。

 

しかも当時のキャプテンが結構イカツイ人で、まだユニフォームが来ていない時だったので半袖半ズボンの体操服だったのに、「ケツバット」ならぬ「モモバット」にするとの事。

 

「ケツ」なら必然的にズボンとパンツの2枚の衣服が軽減してくれるものを、「モモ」となると衣類は無く素肌へ直接だったんです。

 

それはそれはビビりましたね~。

 

キャプテンのそこそこ普通に振ったスイングで素肌の「モモ」に「バチッ!」「バチッ!」と順番に喰らっていったのです。

上下関係は厳しい野球部でしたが勝てませんでした・・・

そんな先輩後輩の厳しい野球部でしたが、特に目立った戦績はなく(記憶では)、中学1年生の私たちから見れば「すごい先輩たちだ」と思っていたものの、大会に出て勝ち進むわけでもなく、平均以下のチームだったようです。

 

先輩たちを「すごい」と思っていたのは「井の中の蛙」だったのでしょう。

 

自分たちの世界から一歩外に出てみると、いくらでも上には上がいるという事だったんだと思います。

 

よくよく考えてみると、たしかに中学卒業後は皆さんそれぞれ高校へ進学している事でしょう。

 

しかし、卒業生(先輩)の誰かが甲子園常連校に進学したという話も聞きませんでしたし、高校で甲子園に出場したという話も聞きませんでしたから。

 

そんな中、唯一、後の超有名人が生まれるんです

大半は上記の話のように、卒業後に目立った活躍をしたと聞く先輩はいませんでした。

 

が、この先輩のうち1人だけ、メチャクチャ有名になる人がいたんです。

 

それは、この中学野球部の1年先輩になるのですが、後にダイエーホークス・ソフトバンクホークスのスター選手「柴原洋」さんがいたのです(実名出しちゃった・・・笑)。

柴原さんは上記の通り、同じ中学の軟式野球部の1学年上の先輩でした。

 

その頃は私は特に目立つような選手ではありませんでしたので、柴原さんとも何か強いつながりがあった訳でもないですし、学年も違うので特に個人的に交流があったようなエピソードは無いんです・・・。

 

ただ言える事は、私とは違って柴原さんは、やっぱりその学年のチームでは間違いなく中心的な存在でした。左投げでピッチャーをやってエースで4番打者だったと思います。

 

プロ野球選手になる人って、本当は柴原さんみたいにエースで4番打者みたいな人が圧倒的に多いと思うんですよね。

 

それに比べ、本当に私は「えっ、アイツがプロ野球選手になったの?ホントに?ウソでしょ?」って言われるくらいの野球少年だったんですよ!

 

今回の話が脱線しまくってしまいました・・・。

 

次回こそは、本格的に私の中学時代の野球との関りをお伝えしたいと思います。

 

多くの皆さんが勇気を持てる内容(あまりに普通レベルの中学生だったので)である事に自信満々ですので、是非皆さん読んでくださいね。

 

それではまた。

コメント

  1. たかし より:

    ケツバットは当時は頻繁にあったんですか?

    • motopro より:

      コメントをいただいており返信が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

      「ケツバット」は、今となっては死語ですね・・・笑。

      当時、中学生の頃は先輩から何度かされた記憶はありますね。

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