「僕がプロ野球選手になれた理由」第11話

「僕がプロ野球選手になれた理由」シリーズ
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前回(シリーズ⑩)では、古藤先生の「部屋」での登竜門となる「腸腰筋」「ケツの締まり」このセットを覚えて、人体の構造からみる「腰痛」や「回転運動」を克服する考え方をお伝えしました。

 

 

今回は、そろそろ先に進んで、僕が古藤先生の「部屋」でどのようにしてピッチャーとして作られていったのか?に進んでいこうと思います。

 

 

今回の動画は、僕が高校1年生の夏の大会のピッチングフォーム(まだ古藤先生の「部屋」に通っていない時)と、同じく1年生の秋の大会のピッチングフォーム(「部屋」に通い出してすぐの頃)とを比較して見えるように並べてみました。

 

 

皆さんも、なんとなくくらいは違いが分かりますか?

 

一番最初に作られた「腕の振り」その理由は?

シリーズ5話でお伝えしているように、僕が野球人生を振り返って、一番の恩師であると自信をもって紹介するのが古藤先生です。

「僕がプロ野球選手になれた理由」第5話
1997年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団した私・真木が、プロ野球選手になるまでのストーリーをお話しします。 特別才能があった訳ではない事を知っていただき、たくさんの人たちに夢と希望をお届けします!

 

しかしこの古藤先生自身は野球経験者ではありません。

 

 

そんな古藤先生から僕がピッチャーとして育てられた、まず最初の取り組みは・・・。

 

 

「腕の振り方」でした。

 

 

というのも、これも以前に紹介している通り、僕が入学した福岡県にある「東筑紫学園」(当時は東筑紫短期大学附属高校でした)は、もともと女子高で、一部の学部だけ男子を入学させるようになった僕たちが2期生でした。

「僕がプロ野球選手になれた理由」第2話
1997年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団した私・真木が、プロ野球選手になるまでのストーリーをお話しします。 特別才能があった訳ではない事を知っていただき、たくさんの人たちに夢と希望をお届けします!

 

ですので野球部としての先輩は、1コ先輩に男子2名女子マネージャー1名でした。

 

 

そんな事もあり、1年生の最初の段階から3年生で高校野球を引退するまで「試合でずっと投げ続けなければいけない」という使命があったのです。

 

 

古藤先生は真っ先にその事を考え、とにかくピッチャーとして避けて通らなければいけない「肩・ヒジの故障」に目を向けたのでした。

 

 

「勝てるピッチャー」「甲子園に行けるピッチャー」を作る

古藤先生は、学校、野球部の監督、僕の両親から「勝てるピッチャーを育てる」事を要求されて僕を預かったそうです。

 

 

先生は先生でプレッシャーがあったそうで、野球部として実績がある訳でもない学校、高校野球での実績がある訳でもない監督、ピッチャーとしての実績がある訳でもない僕、どれを取っても勝てる要素は無い状況で、一から「勝てるピッチャー」を育てる事を考えたそうです。

 

 

そして、まず第一に考えたことが「ケガ(故障)をしていては実現できない」だったそうです。

 

 

そんな古藤先生の考えから、まず取り組んだのが「腕の振り方」でした。

 

 

前回、前々回と、当時高校1年生の頃の僕のピッチングフォームを動画で紹介しています。

「僕がプロ野球選手になれた理由」第9話
1997年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団した私・真木が、プロ野球選手になるまでのストーリーをお話しします。 特別才能があった訳ではない事を知っていただき、たくさんの人たちに夢と希望をお届けします!
「僕がプロ野球選手になれた理由」第10話
1997年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団した私・真木が、プロ野球選手になるまでのストーリーをお話しします。 特別才能があった訳ではない事を知っていただき、たくさんの人たちに夢と希望をお届けします!

 

これは僕が古藤先生の「部屋」に通い出す前と、通い出した直後くらいのピッチングフォームです。

 

 

どちらも恥ずかしいくらい下手くそな投げ方をしているのですが、明らかに腕の使い方に変化があるのは目に見えて分かります。

 

 

今でもよく覚えています。

 

 

テイクバックの上げ方、そして腕を振る方向腕の振りの考え方について時間を掛けて学びました。

 

 

僕のピッチャーの概念としては、この時に教わった事が今でもしっかりと残っています。

 

そして僕が得たものは?

その後の野球人生の中で、時にピッチャーの腕の使い方について耳にする事もありましたが、勘違いして捉えてる人がたくさんいる事も感じました。

 

 

なかなかここの文章で伝えるのは難しいですが「腕をある方向に振る」「こういう考え方で振る」事を身につければ肩やヒジの故障は激減するんじゃないかと思っています。

 

 

現に、僕は恵まれたことに高校1年の入学時から約3年間、大学に入学しても1年時から4年間、ずっと試合で投げさせてもらえました。

 

 

プロに入ってから5年間、1軍2軍の行き来はありましたが、シーズン中はずっと投げ続けました。

 

 

残念ながらプロでは短かったのですが、高校時代から合計すると12年間をピッチャーとして、シーズン中は練習でも試合でも、とにかく投げ続けましたが、その間に肩やヒジの大きなケガ(故障)は1度もありませんでした

 

 

もちろん、この「腕の振り」はコツだけで身につくほど簡単なものではありませんでした。

 

 

その「腕の振り」を身につける為に、腕をどう使うのかを教わり、その為にどんなトレーニングをしなければいけないのかも学び、とにかく毎日継続してトレーニングを行い、そしてフォームの確認、いや、それまでの投げ方のクセを矯正するという表現の方が正しいですね。

 

 

ピッチングフォームを作る段階としては、一番最初に「腕の振り」を徹底して作りました。

 

 

しつこいようですが、先生の狙いは「いくら投げてもケガをしない」ために。

 

投手にとって「腕の振り」を作る事の怖さ・・・

今となっては僕も指導者という立場にもなりましたし、学生たちに野球を教える事もたくさんしてきましたが、とにかくこの「腕の振り」を教える事が本当に難しいんです。

 

 

なぜ難しいかと言うと、いろいろあるんですが一番は、ほとんどのピッチャーは腕の振り、特にテイクバックを意識して作った人は少ないんだと思います。

 

 

だいたい腕の振りやテイクバックというのは、幼少時からボールを投げたりピッチャーをやっているうちに自然と出来上がってる人が多いです。

 

 

そして、ある程度自然の感覚で出来上がった腕の振りやテイクバックを変えようとしてみると、少しタイミングが狂ったり違和感を感じ始めると、明らかにボールが投げられなくなってしまうリスクもはらんでいるんです。

 

 

ですので、ほとんどの指導者が腕の振りやテイクバックをいじって変えようとはしないケースが多いですね。

 

 

ピッチャーにとって「腕の振り」特に「テイクバック」は命と言っても過言ではないようなとてもデリケートな領域なんです。

 

 

その「腕の振り」「テイクバック」を、ピッチャーを本格的にやり始めた一番最初に徹底して教わった事が、今に生きていると実感しています。

 

 

今回は、ピッチャーにとっての「腕の振り」について考えられることを述べてみました。

 

 

この辺になってくると個人的なタイプや好みによる面も出てくると思いますので、僕が語っている事が100%正しい!なんて事は言えなくなってきます。

 

 

ただ、僕の経験を検証として捉えてみると、自信をもって皆さんに紹介できる内容だと思っています。

 

 

野球経験の有無に関わらず、僕の考え方に同調したり反論がある人、または質問や疑問がある人は遠慮なくコメントなどくださいね。

 

 

それでは、また

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