「僕がプロ野球選手になれた理由」第15話

「僕がプロ野球選手になれた理由」シリーズ
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「僕がプロ野球選手になれた理由⑮」

 

前回(シリーズ⑭)では、ピッチャーにとって最も重要な要素であるのが「バランス」と言う事を説明しながら、僕が古藤先生の部屋でバランスを身に付けたトレーニング方法について動画を紹介しながら説明しました。

 

今回はちょっと泥臭い話で「僕がピッチャーとして成長できた原点」の出来事について紹介したいと思います。

以前から説明している通り、僕は小学生・中学生の時は本当に適当に野球をやっている少年でした。

 

本当に中学生の頃なんてひどいもんで、学校の軟式野球部の活動以外で自主練習をすることなんてホントに数えるくらいしかなかったと思います。

 

それよりもヤンチャな仲間とイキがったり、夜な夜な遊ぶことばかり考えていて、親に警察に迎えに来てもらったり、家出して夜中に親が連れ戻しに来られた事などもあり、何度親を泣かせたことか・・・笑。

 

そんな中学生でしたので、中学3年生で夏の大会に負けて引退をしたあと父親から「お前は夏休みに家にいるとろくな事をしない」と言われ、父親の仕事の関係で、親戚のお兄ちゃんが東京で工事関係の仕事をしていたので、自宅の福岡から東京に飛ばされたほどでした。

 

時代が変わったとは言え今の子供たちを見ていると、毎日努力をしなさいと言われたり、野球の塾などに通ったり、お父さんやお母さんがつきっきりになって毎日トレーニングをしたり・・・、本当に当時の自分を振り返ると偉そうなことは言えないな~と内心では引け目を感じる事がたくさんです・・・。苦笑

 

まあ、その辺は反面教師と言う意味も込めて少年たちへの指導をしていきたいと思います!笑

 

話しはそれましたが、中学まではそんな感じの野球少年でした。

 

そして以前にも紹介した通り、ある出会いやちょっとしたキッカケから、野球推薦で私立の高校に入学する事となり、しかも野球部全員が寮で生活すると言う、それまででは考えられない野球中心の生活に一変したんです。

 

しかし、それまで本気で練習なんかした事なかった訳ですから、寮に入って学校以外の時間を野球の為に使うと言ってもどうしたら良いのかなんて手探り状態で、ただ何となく時間が過ぎていく中でやれることをやっていたのです。

 

ただ走るだけただシャドウピッチングをするだけただ腹筋やら背筋やらのトレーニングをするだけ・・・と言うような感じでありきたりで誰もがやっているような事しかできませんでした。

 

前にも紹介しましたが、僕たちの野球部には先輩が3人しかいなく(1人は女子マネ)、高校1年の時からほとんどがレギュラーで試合に出ていました。

 

もちろん僕も、1年生の時から試合で投げさせてもらっていました。

 

1年時の夏の大会、2勝はしたものの県大会前でボロ負け。

 

1年時の秋の大会も1勝の後、ラグビーの試合か?と言う点数の取り合いで負け。

 

唯一の左投げと言う事もあり主戦で投げさせてもらってはいたのですが、そんな不甲斐ない結果しか残せていなかった監督もしびれを切らし、秋の大会後に行われた1年生大会では背番号を10番に降格されたのです。

 

高校野球を自分の体で経験する中で、主戦で投げさせてもらっている僕自身、段々と責任重圧を感じるようになっていました。

 

もし普通の公立高校の野球部だったら、そこまで重圧を感じる事も無かったかもしれませんが、僕たち野球部は全員寮生活をし、学校の体制としても野球部に期待を掛けていた事が高校生の僕たちでも明らかに感じる事ができるほどでした。

 

単に寮生活と言っても想像されないかもしれませんが、僕たちの野球部は伝統がある訳でもなく、県外や遠方から選手を寄せ集めした野球部でもなかったんです。

 

ですので寮生活とは言え、とてもアットホームな雰囲気で、毎週末には交代交代でお母さんたちが来て寮の夕食を協力してくれたり、その度に部員全員に差し入れを持ってきてくれたり・・・。

 

もちろん公式戦なんかになると、ほとんど全員の親が応援に駆けつけてくれたりという野球部だったんです。

 

もちろん選手同士でも、高校の寮は基本的に外出なんて許されません

 

寮の玄関前で野球道具の手入れをしながら、目の前の道路を普通に歩いている高校生なんかを見て「いいな~」「俺たちも遊びに行きて~な~」なんてぼやき合っていた事を思い出します。

 

と言うような生活を送っていると、少しずつ「自分がピッチャーで投げるたびに負けてしまう」事に危機感を覚え始めていました。

 

そして、僕の危機感?切迫感?が目覚める日がありました

 

さっき説明した通り、背番号を10番に降格された1年生大会の1回戦で、地元で偏差値の高い戸畑高校という公立高校と対戦したんです。

 

スポーツよりも学力で生徒が集まってくる学校でした。

 

そこには、僕と同じ中学の野球部だった同級生もいました。

 

僕たちは入学からずっとレギュラーとして公式戦にも出場していて、しかも毎日寮生活で遊ぶこともなく野球に打ち込んでいました。

 

戸畑高校は、1年生ですから恐らく公式戦に出場している選手は少なく、寮生活でもなく自宅から通う野球部でしたから、試合をすれば間違いなく勝たなければいけない状況で、最後の最後まで苦戦をしてしまったんです。

 

それも僕の独り相撲で。

 

試合は勝つには勝てたのですが、監督、チームメイト、父母や学校関係者からしたら、みんなが勝った気分にはなれていなかったと思います。

 

それまでも重圧はありましたが、この1年生大会の初戦で更に危機感が増し、チーム内での孤立感に耐えられず、試合直後にも関わらず、監督に寮まで走って帰らせてくれと志願したのです。

 

その試合会場から寮までは約10kmの道のりでした。

不甲斐ないながらも1試合を完投した直後、自分の居場所が無い事、帰りのバスの中の重たい空気、チームメイトからさえも後ろ指を差されているんじゃないか?と言う自責から逃げ出す目的でランニングを志願したんです。

 

出発して一人で孤独に走っていたのですが、チームメイトを乗せて出発したバスが停まり、バスに乗っていたチームメイトたちも走り出したようでした。

 

僕はバスよりも先に走っていた為、もちろんバスの中のやり取りはその場にいなかったので分かりませんが、監督とチームメイト達が「真木だけが走って帰る事で本当に良いのか?」と言って、みんなが率先して走り出したそうです。

 

そんな事も知らず、チーム内での居場所の無さや自分の責任で応援や期待をしてくれている人たちを裏切り続けている責任を感じながら孤独に走り続け、約10kmの道のりを走り終えて寮に戻ってきました。

 

そこで、いつもバスを運転してくれている部長先生から、僕の後に続いてみんなが走りだした事を聞かされたのでした。

 

走っている間は、この孤立感に押し潰されそうな思いを感じていたのですが、帰ってきて部長先生に話を聞かされた時に新たな思いが芽生えたのです。

 

決して孤独ではないんだ」「自分がいつまでもくよくよしていても後からついて走ってくれたチームメイトの気持ちには応えられないんだ」と、とても励まされ、寮の自分の部屋で涙を流しながら決意できた事は今でもハッキリと覚えています。

 

ちょうどこの時期、以前からお伝えしている古藤先生との出会いもあったので「僕がやれることはここしかない!」と強い気持ちで没頭していけたんだと思います。

 

現代は「誉めて伸ばす」とか「成功体験が必要」と言われる時代です。

 

もちろん、言っている事は理解もできますし否定はしません。

 

それで強く逞しく育つのであればそれに越した事はありません。

 

しかし僕の経験上、また周囲の人との話では、やっぱり失敗や挫折を味わった時こそ一回りも二回りも大きく成長できるチャンスであるとの意見も多くある事が感じます。

 

わざと失敗をさせたり、失敗をした時に怒るという事ではなく、指導者には、大人には、失敗を認める失敗を許容できる器の大きさが必要なんじゃないかと考えます。

 

年齢によって、カテゴリによって、失敗を許せる範囲は異なると思います。

 

大人に近付けば近付くほど、取り返しのつかない失敗は許されません。

 

だからこそ幼いうちに、しっかりと失敗をさせてあげて、許容してあげて、そして一番大切なのが、その失敗の後にどうするのか?どうしてあげれるのか?を大人は考えるべきだと思います。

 

子供に失敗をさせない為に大人が先回りをしてしまったり、失敗をした時にその失敗を指摘せず、失敗を認識させて反省させる事を避けたり・・・、野球の現場だけではありませんが、もっともっと大人の役割って考えるべき事がたくさんあるんじゃないかと思います。

 

なんか話が逸れてしまって申し訳ありませんが、僕が実体験と照らし合わせながら日々感じる事を発信してみました。

 

今後は、僕の体験談、野球・ピッチャーの持論なども交えながら、こうした野球をやる事の重要性、本質なども発信していきたいと思います。

 

それでは、今日はこの辺で。

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