「僕がプロ野球選手になれた理由」第3話

「僕がプロ野球選手になれた理由」シリーズ
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「僕がプロ野球選手になれた理由③」

 

前回(シリーズ②)のあらすじは、僕が中学生の頃、まったく目立つ事なく、まったく本気で野球に取り組んでいなかったというお話をしました。

 

誰がどう見ても「コイツがプロ野球選手になったの?」って驚かれるどころか、「南小倉中学の真木?誰だそいつ?」と言われているはずです。
(ちなみに余談ですが、南小倉中学の野球部の1コ上の先輩に、ダイエーホークスで大活躍した柴原先輩がいました。
柴原さんは僕と正反対で、強くはありませんでしたが南小倉中学校ではエースで4番、当時から典型的なスター選手でした)

 

今回は、高校に入学してからの話しに進んでいきます。

東筑紫短大附属高校野球部のはじまり~

前回紹介したように、東筑紫学園の野球部は僕たちの学年16人が入学してはじめて創部しました。

 

それまでに野球部が無いのはもちろん、1コ上の学年から男子生徒が入学し始めた学校だったので、学内は女子色満載でした。

 

環境的にもグラウンドは無いと言っても過言ではないくらいの狭さ(ハンドボール場がとれるくらい)で、野球部の練習はバスで30分ほどかけて移動した西港と言う地域の工業地帯にある、だだっ広い広場を借りてました!笑(添付写真のグラウンドです)

最初の頃は草野球も出来ないんじゃないか?という状況。

 

フェンスも無ければ整備もされていない。

 

内野はなんとか石拾いをすれば土でノックは受けられるが、外野は膝丈くらいまで雑草がボーボー。

 

今でも覚えています、バッティング練習をしていた時にセンター前ヒットを打った打球が、センターを守ってる同級生が前進をしてくるも、捕るより先に雑草の中にボールが消えて探しはじめる始末です。こんなグラウンドから高校野球人生がスタートしたのです。

 

グラウンドにあるトイレは、工事現場などにある仮設のボットントイレが1つ置いてあるだけ。

 

そんな劣悪な環境の中、校長先生も監督も、口では「甲子園を目指す!」と言っていたんです(校長、監督、スイマセン・・・笑)。

 

しかし立派な寮はあり、野球部は全員寮生活をしていました。

 

一応、僕たち選手も監督からの洗脳(笑)で、寮にまで入ってまったく遊べない(基本、外出不可)状況で野球をやっていた訳ですから本気で甲子園を目指していた訳です。

しかし・・・入学前からやらかしていた僕・・・

しかし、僕の4月入学時の状況はと言うと・・・。

中学の卒業式前後、ケンカをして左人差し指の骨にヒビが入って固定している状態でした!笑

 

左投げなので、もちろんボールが投げられない状態で入学していたという事もあり、1つのエピソードがありました。

 

グラウンドの隣には中古車販売所、工場、広場・・・などが密集していました。

 

グラウンドがある最短の1ブロックを1周まわるだけで約2kmにもなるんです。

 

練習が始まって、ボールを投げられなかった僕は監督から「外周を3周走ってこい」と言われ孤独に走りに行きました。

 

そして練習が終わる頃に、監督から指示をされ他の選手が外周を走っている僕を呼びに来たのです。

 

監督のもとに戻ると「3周走るのに何時間かかってんねん!!」と(福岡県なのに関西弁で)怒られたのですが、僕は監督に「9周走ってきました」と返答したのです。

 

すると監督は「おっ、おう、そうか」とトーンダウン・・・でした。笑

 

そんな荒くれ者の高校入学時でした。

 

まだ野球の話は出てきていませんが、こんな高校野球生活をスタートした僕が後にプロ野球選手になるなんて、この時点でも誰一人想像できる人はいなかったはずです。

 

いまだに僕がプロ野球選手になれた「明確な理由」について触れるところまでたどり着いていませんが、この約半年後に運命の選択?分かれ道?が訪れるなんて、当時の僕も想像できていませんでした。

 

相変わらず、もったいぶってすいません・・・。

 

時系列に沿ってきちんと説明したいと思いますので。

 

では、また。

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