「僕がプロ野球選手になれた理由」第7話

「僕がプロ野球選手になれた理由」シリーズ
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「僕がプロ野球選手になれた理由⑦」

 

さて前回(シリーズ⑥)では、僕が古藤先生と出会った日についての話、また古藤流の体の使い方について、体の中にある「軸」「バランス」について紹介し、なぜ僕が古藤先生に魅了されていったのかを説明しました。

 

今回は、出会ったその日は天国に思えたけど、その後の地獄の高校生活についても紹介したいと思います。

 

「野球部の練習」&「古藤部屋での練習」の日々

それまでに本格的に野球を教わった事がなく練習方法なんかも手探りだった私が「この人に教われば上手になれる!」と希望の兆しが見え古藤先生の元へ通って練習をする事になりました。

 

高校生で野球部でもあり寮生活をしていて、どういう風に通っていたのかを説明します。

 

学生ですので夕方までは授業があります。

 

授業が終わり16時頃、他の野球部員たちと一緒にバスでグラウンドへ向かう日があったり、ピッチャーはグラウンドまで走って行く日があったり。

グラウンドに着くとアップ・キャッチボール・バッティング練習・ピッチング練習など、自分のやるべき練習を消化すると僕だけが途中で切り上げて先生の「部屋」へ向かうのです。

 

位置関係を説明するとしたら、グラウンドから学校&寮を通過してそのまま約3kmくらい先かな?その辺りに古藤先生の「部屋」があるのです。

 

グラウンドから直接「部屋」まで走って行くこともあれば、自転車で行ったり、たまにコーチが車で送ってくれることもありました。

 

グラウンドと学校&寮が約5km程だったので、グラウンドから直接「部屋」に向かう時は8km程あったんじゃないかと思います。

 

時間は、グラウンド練習が始まるのが16時頃なので、一通りの練習をして古藤先生の「部屋」に到着するのは19時頃だったんじゃないかと記憶しています。

 

当時は、古藤先生の「部屋」の目の前に先生の自宅があり、奥さんやまだ幼かった古藤先生の息子さんたちとも毎日のように顔を合わせていました。

 

トレーニング指導は古藤先生だけじゃない?!

そんな時間(19時頃)からグラウンド練習に続いて第二部の練習が始まるのを見兼ねて、よく先生の奥さんがおにぎりを作ってくれたり腹ごしらえを用意してもらったりと、本当に先生の家族みんなからお世話になりました。

 

お世話になったついでに補足をすると、奥さんはそんな感じで毎日「部屋」に出入りしているので先生のトレーニングの本質を熟知されているんです。僕たち教わっている選手よりも・・・。

 

先生が治療室で他の患者さんを治療している時はトレーニングのチェックが不充分になるんです。

 

そのスキをついて隣の部屋でトレーニングをしていると(笑)、先生の代わりとばかりにジ~ッと見られ「腕が低いんじゃない?」「上がってないけどいいの?」と、ある意味、先生よりも細かなチェックを入れられるのでした・・・!

あ~恐ろしかった・・・(苦笑)

 

そんな時間からのトレーニングなので、いつも帰るのは22時や23時

 

日によってはそのまま日をまたいで夜中になる事も珍しくありませんでした。

 

ですので僕の寮生活は、みんなが寝静まった寮に帰り食事を温め直してから食べたり夜中に一人でシャワーを浴びたりという印象が多かった気がします。

 

東筑紫野球部は専用グラウンドが無かった為、土曜・日曜・祝日は必ず練習試合に遠征に行くんです。

 

試合後、バスで1時間や2時間くらいかけて帰ってくるので、練習試合の日はさすがに「部屋」に行かない日の方が多かったですが、平日の通常練習の日はほぼ毎日のように「部屋」へ通っていたと思います。

 

僕の高校野球は「土の上」よりも「部屋」

グラウンドでの練習は2時間前後、「部屋」でのトレーニングや練習は3~4時間、もっと長い日もあり、僕の高校野球の積み重ねはグラウンドよりも古藤先生の「部屋」で培った事の方がはるかに多いんです。

 

さて、ではそんな毎日のように、そして毎日何時間も「部屋」では何が行われていたのか?どんな事を教わっていたのか?

 

ここが最大のポイントになるんですよね。

 

もちろんこんなもったいぶっている訳ですから、普通にトレーニングマシンでがんがんウェイトトレーニングをしている訳ではありません。

 

と言うより、トレーニングマシンと言われる器具は何一つ無いんです。

 

古藤先生の「部屋」で行われていた事、教わった事については、また次回以降で説明していきたいと思います。

 

さらに真髄に迫っていく事になります。

 

それでは、また

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