元プロ野球選手(筆者)の「投手人生の始まり」 第⑦話

筆者について
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こんばんは。

今日のテーマは

投手人生の始まり

前回の第⑥話では、まさかの野球推薦で進学した寮生活や野球部のスタートなど高校生活の始まりをお伝えしました。

 

今回は、そんな高校野球生活がスタートしたと同時に、私のピッチャー人生がどんな風にスタートしたのかを紹介したいと思います。

1年生からチームのエースとなる

1年生からエース」これだけを聞けば良いピッチャーだったんだろうと想像されるかもしれませんが、以前の記事(中学生の頃の)でお伝えした通り、まったく良いピッチャーだったわけではありません。

 

もともと女子高で、私たちの同期が入学して初めて野球部が誕生したわけなので、先輩たちがほとんどいなかったのです(1コ上が2人)。

 

そして私の同期の構成から言うと、16人が野球部として入学してきたのですが、そのうち投手が3人ですね。

 

野手をやりながら投手も出来る、と言う選手が1人2人はいましたが、基本的には投手に専念するタイプは私を含めて3人でした。

 

しかも、野手も含めて左投げが私1人だけだったんです。

 

後に監督に聞いた話は「ボールの回転が良かったからピッチャーをやらせた!」と言っていましたが、本当はただ単に左投げだったからエースとして起用してたんじゃないか?と心の中ではそう思っています(笑)。

夏の大会で初戦勝利

あまりハッキリとは覚えていませんが、たしか4月に入学して野球部として発足したのですが、すぐに大会には出れなかったような気がします。

 

高野連として何か決まりがあったのか?監督や部長がまだ大会に出るレベルじゃないと判断したのか?そこは私たち選手には分かりませんでしたが。

 

最初に試合をしたのが夏の甲子園予選(福岡県大会)だったんじゃないかと記憶しています。

 

まだ高校1年生と言ったら中学を卒業したばかりで子供同然だったと思います。

 

周囲からどういう声があったのか?どんな風に見られ注目されていたのかは分かっていませんでした。

 

そんな中、クジ運も良かったのかもしれませんが、夏の福岡県大会の初戦で初勝利をあげたのです。もちろん私たちのチームはほとんどが1年生だけ(2年生が2人)のチームです。

 

翌日の新聞等では大きく取り上げられていました。

 

ハッキリとした新聞見出しは覚えていませんが、たしか「イガグリ頭の1年生集団が初陣を飾る!」とかだったと思います。

 

そこで初めて、あ~自分たちって注目されてるんだなって気付きましたね。

そんなに甘い訳がなかった高校野球

しかしその直後の2回戦で、やっぱりコールド負けで早々に予選敗退でした・・・。

 

まあ、私たちはほぼ全員が中学を卒業したばかりの1年生の集団で、対戦相手は高校3年生で、夏の甲子園をかけた高校野球生活最後のチャレンジな訳ですから、コテンパンにやられて当たり前だったと思います。

 

と言う内容で、私のピッチャー人生の最初の大会が終わりました。

 

入学当初はケガで投げる事は出来ていませんでしたが、この夏の県予選大会では既に完治して練習もしていたので先発もさせてもらい投げさせてもらっていました。

 

本格的にピッチャーを任されたのは小学生の頃以来だったので、かなりの責任感を感じながら投げていた記憶があります。

 

夏の県予選に負ければ3年生は引退をし、チームは新チームとしてスタートする事になります。

 

が、私たちの高校はもともと3年生がいませんので、新チームとはいえ変わる事はありませんでした。

 

みんな同じ顔触れで新チームがスタートし、学校が夏休みになったり、真夏の強烈な日差しの中練習が続きました。

 

次は春のセンバツ甲子園につながる秋季県予選に向けてみんなで頑張りました。

 

練習試合や、関西への遠征などもあり、詳細は、また次の記事で紹介していきたいと思います。

 

では、また・・・。

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