元プロ野球選手(筆者)の「野球人生の最大の転機」 第⑧話

筆者について
スポンサーリンク

こんにちは。

今日のテーマは

野球人生の最大の転機

前回の第⑦話では、私の高校野球での投手人生の始まりを1年生の時の夏の甲子園予選大会についてお伝えしました。

 

今回は、これから更なる夢物語が続く私の投手人生にとって、最大の転機が訪れた事を紹介したいと思います。

野球・ピッチャーの先生(恩師)との巡り合い

高校1年生の秋頃でした。

 

中学の頃からたいしたピッチャーでもなく、ストレートの球威もある訳ではないし、コントロールが良い訳でもないし、おそらく監督を含めた野球部の関係者たちが「このままじゃダメだ」と相談をしていたんでしょうね。

 

高校野球部の監督の先輩(M氏)の紹介で、学校から3kmほど離れたところに治療院を開業されている先生を紹介されました

 

当時はまだ高校1年生で、野球だってそこまで真剣に努力をしていた訳でもないし、もっと言えば、努力の仕方なんて分からないような若輩者でした。

 

ただ、1年の夏とは言え、チームの背番号「1」を背負って大会に出場したという責任感だけは感じていた事を覚えています。

 

ある日、監督とM氏とに連れられて、その治療院に行きました。

 

そこまで鮮明には覚えていないのですが、その先生から指導を受け、監督やM氏を交えながらいろいろな話をしたと思います。

 

監督やM氏はそんな事は無かったと思いますが、私は高校1年生でしたのであまり細かな事情は分からないまま、とにかく自分が良いピッチャーになる為に、試合で勝てるピッチャーになる為に、この先生に教わるしかない!と考えたんだと思います。

 

それから私の野球は、学校が終わってからの野球部での練習と、部の練習を終えてからの先生の治療院に通ってからの練習と、ほぼ毎日と言って良いくらい2部練習(グラウンドと治療院)となりました。

両親にとっては先行投資?!

その当時は、更に深い大人の事情の事なんか気にする余裕もなければ知識もありませんでしたが、大人になってからなんとなく聞いたのですが、もちろん先生もボランティアではないはずですから、私が先生の治療院に通って練習を見てもらう事に月謝が発生していたようです。

 

具体的な金額はここでは伏せておきますが、高校生が通う学習塾や予備校などと比べて何倍かの月謝だったようです(今となってもあまり具体的に聞いた事がなくてすいません・・・)。

 

私の親からすると、一般の高校生が有名で高学力の大学受験に合格する為に塾や予備校に通わせる事を野球に置き換えて考えたんだろうなと思います。

 

野球の場合は、有名大学の合格という目的も含みますが、甲子園への出場や将来的にはプロ野球のドラフトに指名されると言う目的も複合的に考えられます。

 

プロ野球のドラフト指名ともなると、現実的に契約金と言うまとまったお金が入ってくることになるので、もしかしたら先行投資をしてプロ野球の契約金を一攫千金で狙ったのかもしれませんからね(笑)。

 

まあ、そんな大人の事情は当時は気付けなかったのですが、まともに野球の努力をした事も無ければ実績のある指導者に巡り合ったこともなかった私は、その先生に自分のすべてを任せる事になったのです。

「野球」「ピッチャー」について、未知の世界が待っていた

私を含め両親や監督など関係者皆さんのこの決断が、私のその後の野球人生を180度ガラッと換える大きな転機となったのです。

 

もともと実績のある経験者から指導を受けた事自体がなかったので誰かと比較対照する事はできなかったのですが、とにかくこの治療院で先生に教わった事は野球界で一般的に教わる事とは「別次元の高レベル」でした。

 

この「別次元で高レベル」と言うのは、その後の私のプロ野球での経験を含めても「別次元で高レベル」であると言い切る事ができます。

 

私が、高校大学プロであらゆる野球関係者・指導者の人達と巡り合い接してきましたが、この先生と同レベルと感じる事ができる人はいませんでした。

 

ここまでもったいぶって話していると「どんな風に高レベルだったんだよ!?」ってイラっとしてきますよね~?

 

すいません・・・、その内容についてはまた話が長くなると思いますので次回に持ち越しとさせていただきますね。

 

それでは今日はこの辺で・・・。

コメント

タイトルとURLをコピーしました