元プロ野球選手(筆者)の「ヤンチャで困った中学生時代」について 第②話

筆者について
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こんにちは。

今日のテーマは

元プロ野球選手(私)の『ヤンチャで困った中学生時代』

小学校を卒業して中学校に入学する間の春休みに、母親方の祖母の体調が悪くなり協力が必要になった理由から私たち家族は両親の田舎である福岡県に引っ越しをしました。

 

この引っ越しが、素朴な野球少年が脱線する事になるのでした!笑

友達0人からの出発!

新中学1年生になり入学式を迎えるのですが、学校内、どこを見回しても誰一人知ってる人はいません。唯一、1歳年上の姉が2年生にいるくらいでした。

 

1学年に8クラスある中で、1年1組に割り振られていました。

 

もちろん1年1組に知ってる顔の人はいません。

 

今でも覚えています。入学式?始業式?に向かう為に全員が廊下に出て並んで待機してる間、周りの人たちはほとんどの人達が友達同士でワイワイガヤガヤ遊んでるところに、一人寂しく並んでいました。

 

今でもなんですが、昔から人見知りなんですよね~。なかなか自分から人に打ち解けていく事が苦手で・・・。泣

 

入学して一番最初だったので、教室の席などの並び順が五十音順だったんですよね。

 

一番最初に話しかけてくれて仲良くなったのがすぐ後ろにいた「松本君」でした。

 

中学校生活のスタートはこんな始まりだったのを今でも覚えています。

 

仲良くなるのは何故かみんなヤンキーばかり!笑

ヤンキー」って表現はもう今の時代では死語ですかね?笑

 

まだ小学校を卒業したばかりのお子ちゃまだったので、ヤンキーと言ってもまだこの時点では可愛いレベルのヤンキーでしたけど・・・。

 

一番最初の友達になった松本君も少し年の離れたお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんの影響もありちょっと悪そうな雰囲気の1年生でした。

 

最初の友達が悪そうな松本君だったのと、この1年1組にはそれ以上に悪そうな生徒が4~5人いて、自然とこの4~5人と仲良くなっていきました。

 

大人になって思うんですけど、小学校時代からそういう悪そうな生徒って言う情報は中学校の方に入ってたんでしょうね。

 

もちろん他のクラスにも悪い子はいましたが、1年1組が一番人数も多く集まっていました。

 

しかも担任の先生は、柔道の先生で耳がつぶれていて、どこの学校にも数人はいるような教育指導係的な先生でした。

 

この担任の先生のクラスに悪い生徒の中心的な子を集めたんじゃないか?

 

そして関東から引っ越してきた何の情報もない私がたまたまこのクラスに割り振られた。

 

たぶんこうだったんでしょうね。

 

おかげで、両親は私の中学時代に苦労した事でしょう!笑

このヤンキーだらけの友達はとても楽しかったし、今でも「アイツらどうしてるのかな?」って真剣に思いますね。

 

私の父親は、よく言われるような「九州男児」的な人だったので、なかなか悪い方向に逸れていく事を許さない人でした。

 

そんな厳しい両親のもとで目を盗んで悪さをするのが精一杯でしたけど、その両親だったからこそ、その後、脱線しっぱなしではなく野球の世界に戻ることができたんだと感謝しています。

 

今の時代ではあり得ないのでしょうけど、当時は、中学3年間で先生たちから何発殴られた事か?

 

私の母親は、何度も学校に呼び出され、イジメたり泣かしたりした同級生の家に謝りに行く事も何度もありました。

 

時には警〇にお世話になる事をして呼び出されたり・・・。家出まがいの事をして夜中に探し出されて迎えに来られたり・・・。

 

今こうして自分が親になって思うのは「本当に大変な中学生だっただろうな~」って。

 

転機は中学2年生時の体育祭でした!!

そんな悪ガキぶりがどんどんエスカレートしていく中、たまたまの転機が訪れました。

 

仲良くしていた悪い友達たちも、入学後どんどん悪くなっていってました。

 

そして中学2年生の体育祭の時。

 

友達たちは出場する競技すべてで、見るからに適当な態度で出場したのです。

 

すると体育祭後に学校内にいる強面の先生達全員から呼び出されたのですが、それもシカトして帰っていきました。

 

↑にも書いた通り、ウチは父親が本当に厳しかったので、私自身は中途半端でそこまであらかさまな悪い行動はしていなかったんです。

 

呼び出しをシカトして帰って行った友達たち(7~8人くらいいたと思います)は、みんな次に学校に行った時は大変な事になると想像し、しばらく(たぶん1週間くらい)登校拒否をしていたのです。

 

今みたいに携帯電話とかも無い時代でしたので、私もその間は全然会っていなかったんですが、しばらくしてそのグループ全員が揃って急に学校に現れたのです。

 

とっくに授業も始まって昼くらいの時間に、しかも体育祭前の姿とは激変して、髪もそれぞれカラフルに染めたり、それまでは少し控えめな制服の改造だったのが、もう「ビーバップハイスクール」の仲村トオルと清水宏次朗もビックリするくらいの改造制服になっていたのです。

 

恐らく登校拒否をしていた期間中、みんなでビビりながらも時間が経つにつれ腹をくくって開き直り作戦を実行したんでしょうね。

 

本人たちはそれが成功だったのか?失敗だったのか?先生たちはその姿を見て、怒るとか殴るとかではなく、とにかく本人たちの教室には入れさせなかったのです。

 

先生達はあまりの豹変ぶりに、他の一般生徒と関わらせないように考えたんでしょうね。

 

休み時間に1階に降りると、適当に遊んでるのでそこで話をしたりする程度の関係になっていきました。たまには学校が終わった後に遊んだりすることもありましたが、四六時中、一緒にいて遊ぶことはなくなりました。

 

さて、ここまでは野球の話は一切出てきませんでしたね。

 

そうなんです。私の中学生活はその程度の野球だったんです。

 

少なくともこの中学2年生くらいまでは、ホント野球の事を覚えてる事の方が少ないくらいです。

 

とは言っても野球の話をしないとこのサイトにはまったく関係のない話になってしまいますので、次回では野球の話に触れていきたいと思います。

 

くだらないヤンチャな中学生時代の話にお付き合いいただきありがとうございました。

 

次回は「くだらない中学野球」の話を紹介したいと思います。

 

ではでは。

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